「さよならの朝に約束の花を」を観てきました。
観たモノの感想をこのブログに書くのも久しぶりな感じがします。
「さよならの朝に約束の花を」を観てきました!イエーイ!
『さよならの朝に約束の花をかざろう』を観てきました。
— つーお.tzt (@Tuuuuooo) 2018年3月7日
ネタバレするかも知れないのでまだ見てない人は劇場に行こう!
めちゃくちゃ良質な別れの話だった…。
最近Twitterで#魔女集会で会いましょうってタグが企画されていたので、切なくて悲しいけど優しい作品に触れることができて満足していたんですが、この『さよ朝』で完全に息の根を止められた形ですね…。
以下の内容は僕が観てる時に感じた内容なのできっと解釈が違うと思うんすけど、書かずにはいられなかった…!
寿命ネタにはね…弱い…。そのキャラクターの人生を感じると泣いてしまう。
エリアル君の覚悟がヤバいっすよ本当に。
護られる側から護る側に、そして連綿と血を繋げ、寿命が短いからこそ、イオルフじゃないからこそ、強く強く人生を咲かせることができる。
イオルフがヒビオルで過去の事を記憶するのなら人間たちは『血』によって過去を記憶している(最後の描写とかはそう見えました)。
でもこの『血』によって過去を記憶するというのはとても痛みを伴うものですよね。
そしてこの記憶方法をイオルフが知るためには愛さなければいけないという…おお…クる…。
このねー、『約束の花』にタンポポを使ってくるのも非常にクるものがあります。
花言葉がもうこの二人にピッタリだし、最高やん?
タンポポはイオルフとか『この世から忘れ去られかけている種族たち』の事も指してたもんね…翼をもつ種族とか居た時代(イオルフが普通だった時代)=開花状態から徐々にそういった種族たちが世界にお別れを告げていった時代=綿毛状態になるのがね…重なるんだよね…。
別れの種族…これ人間に対してだけじゃないっすよね…『世界』と『幻想』自体の別れを見届けるのも暗示してますよね…。うーん、しんどい。
世界自体が変革を迎える中で絡み合った横糸と縦糸が紡ぐ美しい物語、最高ですね…。
自らの拾い子を最後まで愛しぬき母として子に別れを告げたマキアと、腹を痛めて産んだ子をその手で抱けず最後まで母として振る舞えず、「イオルフのレイリア」(少女)のままで子に別れを告げたレイリアの対比もとても良かった。
「私は飛べる」という一心で耐えてきたレイリアにとってはアレこそが「飛ぶ」最後のチャンスだったんですよね。羽を捥がれ籠の鳥であったレイリアにとっては「娘の顔」以上の魅力でしょうね…。(まあ一瞬顔見れたし?)
「忘れられないから」ってセリフも最高ですよね。
「忘れないから」じゃないんすよ、「忘れられない」彼らが居なくなっても絶対に『彼ら』は消えないという強い思い。
最高じゃないですか。
ヒビオルもなぁ…!いい仕事しますよね!?時に文字となり、時に身を守り、時に記憶となる。
エリアルの最後のシーンは「貴方はここから始まったのよ」ってヒビオルが優しく抱きしめているようで…本当に…本当に…。
クリムは頑張ったけど報われなくて可哀想でした。ただ燃やすのはダメだよ?
観た後母になんとなく「母さん、おかえり」って言いたくなる、そんな映画でした。
気になった人は観にいこう!
それじゃまた!